本表は財団法人大日本相撲協会→日本相撲協会→公益財団法人日本相撲協会の役員(理事・監事=現副理事)を
各改選期ごとに一門別に並べたものである。東京大角力協会最後の役員(大正15年期)も参考までに記載した。
会長と軍人役員、および外部役員は記載していない。
上部の日付は役員の就任日。役員待遇委員は役員就任時ではなく職掌任命時に就任しているが、便宜上改選時の就任とみなした。
公益法人移行後は、評議員会で選任された日付とした。
配列は「取締」は最上部、以下は改選直後の番附の並び順を基本とした。従って、相談役など時期によって順序が異なる場合がある。
一門名は任期中のもの。途中で変更された場合は変更後、誕生・消滅した場合は期間の長い方。
なお、昭和22年以前は現在とは系統が異なり、一応現在の一門系統とつながるように配慮したが、必ずしも正確ではない。
年寄名は就任時のものを記載し、途中で名跡変更した場合は欄外に「→変更後の年寄名」のように記載した。
各階級の新就任者は太字とした。下位の役員(主に役員待遇委員)に就任した場合も初任期の場合は新就任とした。
年寄名前後「◆」は理事長を示す。年寄名前についている場合は改選時の就任、後の場合は途中就任を示す。
昭和43年期以降は理事定数が15名→10名に変更され、理事・監事は公選制となった。
候補者が定員を上回り、実際に選挙が行なわれた場合は落選者を黒地・各一門色の文字色で示した。
「監事」は平成20年10月1日以降「副理事」に改称された。
掲載年[PDF] | 備考 |
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平成30〜令和6年 | 令和2年は無観客場所千秋楽翌日に改選。 |
平成24〜平成28年 | 平成26年より公益財団法人に移行。北の湖理事長急死で八角理事長に交代。存亡の危機から空前の相撲ブーム、暴行事件発覚で再びピンチ。 |
平成16〜平成22年 | 野球賭博、大麻、故意による無気力相撲メール発覚問題から北の湖→武蔵川→放駒理事長へ目まぐるしく交代。 |
平成8〜平成14年 | 年寄名跡改革から初の理事選挙、時津風理事長から第1次北の湖政権へ。 |
昭和63〜平成6年 | 二子山理事長を経て出羽海理事長へ。若貴ブームで大いに話題になった。 |
昭和55〜昭和61年 | 引き続き春日野政権。60年に新国技館へ移転。 |
昭和47〜昭和53年 | 武藏川から春日野長期政権が始まる。 |
昭和39〜昭和45年 | 二所ノ関取締就任で再び取締5人体制。43年期より公選制とともに取締制を廃止、理事も10名に削減された。 |
昭和31〜昭和37年 | 角界の在り方が国会で問題となり、時津風理事長に交代。 |
昭和22〜昭和29年 | 時津風取締就任で取締は5人体制に。 |
昭和15〜昭和20年 | 戦時中も定期改選が行なわれたが、昭和21年期は前倒して20年11月に改選。19年期より年寄として初の藤嶋理事長就任。 |
昭和7〜昭和13年 | 春秋園事件で取締が入れ替わるが、出羽海一門から2名は変わらず。 |
大正15〜昭和5年 | 東京相撲最後の役員改選。昭和2年東西合併。昭和3年期以降は任期2年。 |
制作・著作:紅葉橋律乃介(momijibasi@yahoo.co.jp) | 銀河大角力協会へ |
平成三十年一月四日開設